2006年度(H18年度) 田村潤一郎

タイトル:「おもしろき、事もなき世を、おもしろく」
「おもしろき、事もなき世を、おもしろく」
 これは、幕末の志士・高杉晋作の辞世の句です。
私は歴史マニアで、もちろん 高杉晋作も大好きですが、この辞世の句だけは、どうしても好きになれませんでした。
 晋作の生きた幕末の時代は、まさに動乱の世で、多くの若者たちが、あらゆる智力、あらゆる財力を注ぎ込み、ついには己の生命までも削り尽くした時代でした。
 そんな時代を「おもしろくしちまおうぜ」って感じに軽々しく表現し、ちゃかして気どっている晋作の真意を、計りかねていた訳です。
 実は私は、商工会青年部入会時の6年前、この晋作の辞世の句をテーマとして、主張大会に出場し、東京大会優勝と云う結果を残しました。
 しかしながら、この6年間、青年部活動を重ねている内に、当時の「要するに、世の中を笑い飛ばすにふさわしい人物になれ、と云う事だ」 とは別の解釈をするに至りました。
 今年度で青年部を卒業する現在、改めて同じテーマで主張させて戴きます。
 皆さんは、商工会青年部活動に、「漠然とした違和感」を感じた事は無いでしょうか?
 私は青年部活動も含めた、広い意味でのボランティア活動を重ねるにつれて、この感覚が徐々に明確な物になってきました。
それはボランティア人員側と受け入れ側・使う側、そして社会一般のボランティア活動に対する、認識のズレからきた物に他なりません。
「ボランティアは無償の奉仕にして、自己犠牲による善意の美談からから成り立つ」
 これが世間一般のボランティアへのイメージでしょう。
このイメージに、どれ程、苦しめられてきた事か・・・
言うまでもなく「ボランティア」とは、「自発的に行う社会的・公的活動」の事であり、「無償の奉仕活動」などと云う概念は、受け入れ側・使う側の方便から成り立った、としか思えません。
 つまり、ボランティア人員を作業人員の頭数とみなしたり、無償の労働力として、使いたい側が、ボランティアの対象が施設側・主催者ではなく、あくまでも、その利用者や来場者である事を、忘れてしまっていると思えるのです。
 また、ボランティアを崇高な物として奉る事、それ自体が、壁を作りボランティアの門口を狭ばめているので、文字通り本末転倒です。
「そもそも、何故にボランティアの限り、その善意まで問われるのか?」
「人の善意はあやふやで、社会的善意となると、到底信用できない」事は、すでにギリシャ哲学時代に、ストイック主義の敗北により証明されています。
 資源消費が国土の8.5倍の、この日本社会を、子供達の未来の財産までをも喰らい始めた、この日本社会を見回しただけでも、その正当性は明らかです。
 もちろん「人の善意」すべてを否定するつもりはありません。ただ、それがあやふやな物である事は、誰もが知っている筈なのに、何故にボランティア活動の限り、それを求められ強要さえもされるのか理解に苦しむのです。
 商工会青年部活動に絞って、考えてみるとどうでしょうか?
 行政側、あるいは親会側に「無償の労働力」として使われた事は、
一切ないと言い切れるでしょうか?
「善意」を強要せれた事はないでしょうか?
青年部誓いの言葉に「地域振興発展の先駆者となる」とありますが、むしろ、その時間と行動力を青年経営者または後継者として、それぞれの営業所で使った方が、よほど地域振興発展の役に立つ場合も、多いのではないでしょうか?
「事業に参加する事、それ自体が自己修練となる」
 確かに、その通りです。ただしそれは“商工会”青年部活動において学ぶべき物なのでしょうか?
 私はこれらの問題で、親会も含めた数々の先輩方とぶつかり、噛みついて来ました。
「現状が甘授できない以上、青年部を退部するしかないな」と真剣に考えたりもしました。
そのままだったら、私が今ここに立っている事はなかったでしょう。
それを思い止まらせたのは、ほんのささいなきっかけでした。
 私の営業所は、京王線つつじヶ丘駅前にあります。
長年の酷使の為に、二年前に全面改装したのですが、当然、業者さんは、私が信用できる方達だけに、集まって戴きました。
自分でもビックリでしました。
その面々は、商工会青年部のメンバーばかりだったのです。
私は、消防団・JC・法人会などの数々の団体に所属しているのにも係わらずです。
その理由は、業者さんの顔ぶれを見回せば明らかでした。
建築屋さんは、私が新入部員時に主張大会に出場した時、担当委員長として支えてくれた親友。
 電気屋さんは、常に私に厳しく接していながら、じつは影では、私の最高の代弁者であり続けてくれる、飲み会番長の先輩。
 看板屋さんは、どんな事業、どんな行事にも決して遅刻しない実直な先輩。
 そして、水道屋さんは「ボランティアとは何か?」と常に激論を交わしながらも、歯を食いしばりながら、一緒に数々の事業をこなしてきた後輩でした。
 すべて商工会青年部活動を通して築いた信頼関係であり、そのアイデンティティが問われるであろう、青年部活動を通してこそその人間性を観察していたのです。
 そして、それぞれの改装作業が終わった後の居酒屋での彼らの破天荒な明るさ・・・・・
「おもしろき、事もなき世を、おもしろく」
 ふと、高杉晋作の辞世の句が頭に浮かびました。
 幕末の志士達は、ともすれば英雄としてあがめられますがその本質は我々と何ら変わらない若者達だったと思います。
 とくに、脱藩という形で命をかけて、その活動の誠意を示した者達は、理想と現実との狭間で思い悩み、その境遇を恨みもしたでしょう。
 晋作の辞世の句は、そんな彼らへの最後のメッセージだったのでは、ないでしょうか。
「自分のおかれた境遇をうらまぬよう、常に笑いを以って心をはぐくめ、
笑え、笑え、大いに笑え」
 
スケールは全く違いますが、我々にも同じ事が言えるのではないでしょうか。
「誰もが納得する筈など無いだろうが、それでも、笑いを忘れず、 やるしかない!」
 改装業者さん達の商工会青年部活動に、「将来、仕事に繋がれば」との打算がまるで無かったと言えば、それは、あり得ないでしょう。
私はそれで良いと思います。
 商工会青年部の本来の主旨からは、外れるかもしれませんが、私は、今ここに主張します。
「情けは人の為ならず、めぐりめぐって己の為」
商工会青年部活動に、善意の介入する余地などない。
地元経済人である事を表明する行為だと割り切ってしまって、それでよい!
常に笑いを以って心をはぐくめ。
 笑え、笑え、大いに笑え。